こんにちは、おもいびとの“ふみづき”です。
第97首 藤原定家(ふじわらのていか)1162~1241年【新勅撰集】
『来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ』
【歌の解説】
松帆の浦の夕なぎの時に焼いている藻塩のように、私の身は来てはくれない人を想って、恋い焦がれているのです。
この歌の主人公は、海に入ってあわびなどの海産物を採る海乙女(あまおとめ)の少女です。 いつまでたっても来てはくれない、つれない恋人を待って身を焦がす少女。やるせなく、いらだつ心を抱くその姿を、松帆の浦で夕なぎ時に焼く藻塩と重ねて表しています。 煙がたなびく夕方の海辺の景色と、初々しい女の子の心の揺れが読み手に伝わる、とても繊細でロマンチックな名歌といえるでしょう。
定家は、日本の代表的歌集「新古今和歌集」の選者の一人でもありました。新古今集は、人の気持ちを風景などに託して描く「象徴的な心象表現」が特徴。素朴でストレートな万葉集や、テクニックをこらして言葉の遊びを楽しむ古今集よりぐっと「大人っぽい」味わいを持ちます。この歌にも、新古今を編んだ定家らしい心象表現が感じられます。
【作者の解説】
藤原定家(ふじわらのていか)1162~1241年
平安末期の大歌人藤原俊成の子として生まれ、正二位・権中納言まで出世しました。新古今集、新勅撰集の選者として有名ですが、何よりこの「小倉百人一首」を選んだ人として知られています。この歌のように叙情的な作品を得意とし、「有心体(うしんたい)」という表現スタイルを作りました。
【ふみづきからヒトコト】
待って待って待ち疲れて藻塩ようになってしまう。恋焦がれる思い以上の強い印象を受けました。それは待ち人への当てつけのようにも感じ取れる。「夕なぎ」は内なる思いが夕日の光に重なり、同時に限りがあることを示す。そう感じて描きました。
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