こんにちは、おもいびとの“ふみづき”です。
第89首 式子内親王(しょくし(または、しきし)ないしんのう 生年未詳~1201年)【新古今集】
『玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする』
【歌の解説】
このまま生きながらえていると、今まで堪え忍んできたあの人への恋心の堰が破れてしまい、恋心が他人に知られるかもしれません。私の魂よ、絶えるのならば今絶えてしまっておくれ。恋を忍ぶ意志が弱くなっても困るから。
百人一首を代表する抑えた恋の激情を感じさせる歌です。 死んでもかまわないから、この忍ぶ恋を世間に知られぬようにしておくれ。なんという強烈な女性でしょうか。
この歌の人気は高く、詩人の萩原朔太郎も「悲恋の歌人式子内親王」の中で、「式子内親王の歌は、他の女流歌人のそれと違って、全くユニークで独自の情趣をもっている。それは和泉式部の歌のように、外に向かって発する詠嘆ではなく、内にこめて嘆く歔欷(きょき=すすり泣き)であり、特殊な悩ましい情熱の魅力を持っている」と書いています。モダンで都会的であり、ナイーブかつ哀感にあふれた詩を数多く作った朔太郎は、どこかで式子内親王が自分と相通ずると思っていたのかもしれません。
【作者の解説】
式子内親王(しょくし(または、しきし)ないしんのう 生年未詳~1201年)
後白河院の第三皇女で、「大炊御門斎院(おおいのみかどいつき)」と称されました。賀茂斉宮(かもさいぐう)などを務めましたが、実兄の以仁王(もちひとおう)が源頼政(みなもとのよりまさ)が当時政権を握っていた平氏に対して挙兵し失敗した事件に連座。1197(建久8)年頃に出家しました。新古今集時代の代表的な女流歌人で、藤原俊成の弟子でした。なんと、藤原定家と恋愛関係にあったという説もあります。
【ふみづきからヒトコト】
中央の点は今にも消えそうな命を表しています。「堪え忍ぶ恋心」をまず私は本心なのか疑問を抱きました。本来は時間を気にせずに「会いたい」思いがあるが、地位や名誉など様々な事情がそこにあり、若い恋愛のように真っ直ぐには愛せない。そんな心の葛藤と孤独感と愛情の大きさを表現しました。
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